“I used to think that I could never lose anyone if I
photographed them enough.
In fact, my pictures show me how much I’ve lost.”– Nan
Goldin
たくさん写真を撮って記録しておけば、もう誰も失わずに済むじゃないかと思ったの。
けれど実際は、どれだけ多くのものを失ってきたかという現実を突きつけてくるものだったわ。
-Nan Goldin(ナン・ゴールディン)
今にもその部屋の匂いが漂ってきそうな痛々しくも美しい写真たち。
スナップフォトという手法を世界に広めたアメリカ人Nan Goldin、彼女の撮ってきた写真を解説するには、
彼女の壮絶な生い立ちについて語る必要があります。
1953年 ワシントンD.C生まれ、ボストン育ち。
1965年 Nanが14歳の時、姉のBarbaraが自殺。この出来事に大きなショックを受けたNanは、
家族を捨て、友人のドラッグクイーンらと擬似家族のような共同生活を始めるようになります。
そんなある日、ふと自分自身の中で、姉の死についての記憶が薄れてきているという事実に愕然とした彼女は、
友人達と過ごすすべての瞬間を記録し自分の中に留めておこうとシャッターを切り始めました。
―服装倒錯者カップル、HIV侵され死を待つ友人、ドラッグの煙が蔓延する日常、親友、彼氏、そして自分自身。
70s-90sの混沌としたNYの時代感を投影した彼女のスナップに、享楽的な要素は一切存在しません。
そのほどんどが仲間たちとの時間を切り取っていながらも、そこに映っているのは生々しい「孤独」です。
荒木経惟や森山大道の写真が好きな方は、きっと面白いと感じるのではないかと思います。